川合玉堂 作品紹介

作品詳細

タイトル朝雪 「玉堂会登録番号/東美鑑定評価機構鑑定委員会」鑑定証書
作家川合玉堂
サイズ31.6×42cm
技法日本画
サイン印有
仕様額装

作品詳細

タイトル富士 「東美鑑定評価機構鑑定委員会」鑑定証書
作家川合玉堂
サイズ41.9×58.9
技法日本画
サイン印有
仕様額装


略歴

1873年 愛知県葉栗郡外割田村に生まれる

1881年 一家で岐阜市米屋町に移る
両親はここで紙・筆・墨を商う

1887年 岐阜尋常小学校を卒業
青木泉橋の紹介所を持って、望月玉泉の門に入る
「玉舟」の号を与えられる

1890年 勧業博覧会出品に当り、「玉堂」と改める
幸野楳嶺の塾、大成義会に入る

1895年 内国勧業博覧会出品の橋本雅邦作『竜虎の図』『十六羅漢』を見て深く感動する

1896年 上京し、橋本雅邦の門に入る

1898年 日本美術院創立、雅邦に従ってこれに加わる

1901年 牛込若宮町に転居

1907年 文展審査員に任命される

1908年 師、橋本雅邦没(74歳)

1915年 東京美術学校教授を拝命

1916年 『行く春』(重文・東京国立近代美術館蔵)

1917年 帝室技芸員を拝命

1931年 フランスよりレジョン・ドヌール勲章を拝受
イタリア皇帝よりグランオフイシエー・クーロンヌ勲章を拝受

1936年 帝展再改組に対し、東京美術学校教授及び帝国美術院会員の辞表を提出

1940年 文化勲章を受章

1944年 東京都下西多摩郡三田村町御嶽に疎開する

1945年 牛込若宮町の住宅戦災にあい消失
御嶽に移り「偶庵」と称す

1951年 文化功労者となる
没するまでその年金で美術品を購入し、国に寄贈

1953年 病を得て療養につとめ、以後4ヶ月間制作を行わず

1957年 2月下旬、心臓喘息病を起こし、自宅にて療養
一時回復に向かうが、6月下旬から再び悪化

6月30日没
勲一等旭日大綬章を賜る